ぞうのいえとは
「ぞうのいえ」
ぞうのいえに込めたおもい
習い事の教室でもないかといってアトリエともちがう
創造はわき上がるもの。
ここは生きる場
まるで息をするように「作る」事をしてほしい…
そんなおもいからぞうのいえははじまりました。
大人になって周りを見渡せば、誰もが作る作業に打ち込んでいます。
会社を作る
セーターを編む
企画書を作る
ごはんをつくる
家族をつくる
詩を書く
絵を描く
「作る」は楽しい、人生を幸せにしてくれます。
「作る」は、「自分で考えたことを実現する」こと。
「作る」は、生きること
自主的に行うことと考えます。
「幼児期」
ひたすら作る喜びを味わいましょう
「1年生」
できることがふえてきます。
自分についてもよくわかってきます。どんどん挑戦しましょう
「2年生」
作る楽しさの原動力を自分の内面に移しましょう
「3年生」
どんどん道具を知っていきましょう。
「4年生」
道具を使いこなして作りたいものを作ってみましょう
「5年生」
技術を伸ばしていきましょう
「6年生」
1から作りたいもの考えてみましょう
「手を使うことの大切さ」
大田区の手の教室にて、アシスタントを3年近く勤め、手を使うことの大切さを学びました。指先を使って、ひとつづつ作り上げていくことで、自分自身の力を学んでいきます。
まずはじぶんの手で触れること、どのぐらいの力でどうすればいいの?指先で世界に触れ、物を知り、つみあげていく意識の中の構造で「世界」を認識していくのです。
手を使いこなせるようになってから、パソコンなどの「道具」を知っていきましょう。生まれたばかりの赤ちゃんが急に立ち上がり歩き始めることはまずありません。
「じぶんの物にする」と言うことは、じっくり時間のかかることなのです。急ぎすぎてはいけません。
「絵を描く、作るって、どういうこと?」
子供達と創作をする活動をしていると、「この子達は、どんな絵を描きたいんだろう。なんのために描けるようになりたいのだろう」という疑問にぶつかります。
絵画教室と聞くと、巨匠の絵を模写したり、テーブルにおいたレモンや石膏の像をデッサンするイメージがあるかもしれません。大人が思う「絵画教室」はそういったイメージ。本物そっくりにかけていたらOK
しかし、子供たちが思う「絵」は少し違うんじゃないかと考えます。
大田区の手の教室で勤めていた時に出会った子供達のお話をさせていただきたいと思います。
◇歌うように絵を描くこども達◇
「今描いているこの子は○○で~、○○をしているところ~、そこに○○が咲いていて~」 近くに寄ると、そんな風に絵を見せながら教えてくれる女の子がいます。心に絵が浮かんだ場面を、一つずつ手を使いながら表現していきます。まるで歌を歌うかのように滑らかに描いていきます。そのまま絵本が完成してしまうほどに場面ごとに枚数を描き続ける子もいれば、一枚にびっしり描いていく子もいます。
◇完成図を描いてから作る5才の男の子◇
少しやんちゃな男の子でした。ある日、自由時間に私はその子に付きっきりで過ごしました。すると彼は段ボールで帽子を作りたいと話してくれたので、いっしょに作ることにしました。
三次元的な物だったので、すこし難しいかもしれないとおもいながらも「設計図を描いてみよう」と伝えると、彼は上手に設計図を制作し説明をしてくれました。 その設計図の上手さと言ったら!大人の人がすぐに仕事ができるほどの精密な形、横から見た図と、構造の説明でした。 彼は自分が描いた設計図を見ながらほぼ自分で帽子を作り上げました。 驚いたのは翌週です。課題でお弁当箱を粘土で作る日だったのですが、彼は教室にに入るなり完成品を一目見ただけで「伸ばして、切って、組み合わせるんだね!」と、説明するまえに手順がすべてわかってしまったのです。 翌々週はさらに驚きました。自分の描いた設計図をお友達に見せ、作業を分担して大きな潜水艦をダンボールで完成させてしまったのです。
この経験から、私は子供達にとって「絵を描く」ということは、
自身の考えを表現する行動の一つ。言葉のようなものだと考えました。
そしてこの考えにめぐり合わせてくださった大田区の手の教室に感謝をしています。
大田区の手の教室の「ののさん」が描く頭足人のお話もとても面白いので、読んでみてください。
「想像を超える楽しさ」
上記では、「自分の考を表現する行動の一つが絵を描くこと」と述べましたが、 絵の役割はそれだけではないとも感じています。 私たちは、想像を超えるような出来事があったときに、驚いたり、笑ったり、楽しいと感じます。 例えば、子供の時、お父さんが洗車をしているときにちらりと見えた「虹」に驚いたり。 または紫キャベツの煮汁にレモンを絞ると色が変わったり。 そういった出来事と同じように、絵の具はときに、全く思い通りにならない曲者になります。 にじみ、混ざり、流れ、、、そんな曲者といい友達になりましょう。この良き友は、自分の考えや予想、予定を超えて素晴らしい思いもしない景色を見せてくれたりします。(もちろん、うまくいかないこともありますが)
またそれは、物事への向き合い方、楽しんで取り組んで行くことへつながると信じています。
教育改革もあり、教育の場では子供達が主体的に学ぶ「アクティブ・ラーニング」がはじまります。
席に座り静かに先生の話を聞く授業だけではなく、子供達一人一人が考えを自分から表現していけるたのしい授業です。
たった一つの答えにとらわれることのない、よりクリエイティブな自由な教育です。
自身を表現することが楽しい。考えていることを人に伝えるのが面白い。
そんな経験が、今後の長い人生を生きていく上で、糧の一つになると信じております。
「ひとみしりでもだいじょうぶ」
なかには喋ることがはずかしい子もいます。
私自身もそんな子供でした。いろんなお話の仕方を用意しています。
「うまくできることだけが大切ではない」
作品であるかどうか、大人はつい完成品で評価をしてしまいます。
もちろんお金を払って通わせる塾なのだから、意味のあるものを作ってほしいという気持ちは十分理解ができます。それでも、子供が大切にしていることはちがうときがあります。
特に自由時間の間に、お子さんに自由に遊びながら作ってもらう作品は、実験的だったり、良い状態を通り過ぎ塗りすぎて暗い色になってしまったり、なんとなく組み合わせて作ったオブジェだったり、?????というものもあるかと思います。でもぜひそれを「意味のないこと」「下手」「よくわからないものを持ち帰って、、」といった言葉で評価しないでください。「想像を超える楽しさ」でもお話をしましたが、その作品ではお子さんと絵の具や道具との関わりの中で様々な過程を歩んで完成しました。
そういった時間の積み重ねで、自分にしかできない驚きの手法を発見したり、作ること、挑戦することは楽しい〜!という気持ちが育まれます。ぜひお子さんに、どんなことをして作品が完成したのか聞いてみてください。お母さんも驚くような発見があるかも。。
「やってみた!」を大切に。
本当に大切なのは、「実験」→「学び」の部分でもあります。
「あそびについて」
ミヒャエルエンデが、童話モモの中でも言っていた「新しいけどひとつしか遊び方がないオモチャ」が増え創造あそびの場面が減ってきたと感じております。
木の破片でできたあべこべ積み木や、粘土、手作りおもちゃなどを用意しています。
また、年長さんには簡単なルールの遊び、就学後はみんなで遊べるボードゲーム等もご用意しております。自由時間に希望がありましたら楽しく遊びます。
「ぞうのいえをはじめるきっかけ」
幼い頃、祖母に連れて行ってもらった「宮城まり子とねむの木のこどもたち展」がはじまりでした。こころにじんわり響く美しい作品たち。魂からわき上がるような無二の作品達。表現をする時の子供達の真剣な表情。きっと、「生きること」を表現しているんだ。わたしもそんな『場』を作りたいと思いました。
〈プロフィール〉
ふるや ともよ
広告デザイナーを5年経験した後
株式会社リタリコに入社
応用行動分析ABA研修を受ける
おもちゃコーディネーター養成講座修了
その後大田区手の教室に移籍アシスタント後
「ぞうのいえ」を開始
川崎市幸区の子育て支援ヘルパー 所属